怒りの取り扱い

今更言うまでもなく、怒りというものは自分を攻撃的な気持ちにさせるための感情であるわけです。比較的静かな怒りもあれば、とても激しい怒りもありますね。

どちらにしても、相手を攻撃することで自分を守ろうとする行為であるのです。それは物理的に、自分に襲い掛かってくる危険から自分を防衛しようとするだけかもしれません。

また、心理的な面で相手にこれを分からせたい、訴えたいという気持ちの表現かもしれません。

分かってもらえない自分、受け止めてもらえない自分があまりにも惨めだし、可愛そうなのでそういう自分にならないように防衛しようとするのです。

だから端的に言って、強く防衛しようとすればするほど、怒りが強くなってしまいます。逆に無防備の方向へ気持ちが行けば行くほど、怒りは薄くなっていきます。

そこから類推して、幼い頃に安心できるような環境ではなかった場合、つまり不安や恐れが多かったような場合には強く防衛しようとして怒りが沢山溜まることになってしまいます。

そして幼い頃から溜め込んだ怒りの感情は、その後の人生の中で都度本人の心に怒りを誘発せざるを得ないような現実を起こすことになります。

つまり怒りを抱え込んだ心ほど、負のフィードバックがかかり更にその上に怒りを溜めていくような結果となってしまうということです。

この悪循環を断ち切ることをどこかでしないと、怒りに満ち溢れた人生を送り続けることになってしまうわけです。

本人の自覚としては、自分は何も悪い事をしていないしまじめに生活しているのに、どういうわけか腹立たしいことばかりが身の上にやってくるという感覚かもしれません。

誰の心の中にもある怒りという感情をどう取り扱えばいいのか、その理想的な方法を学校や親などからきっちり教わった経験のある人はまずいないはずです。

子供にとって、学校の先生にしても親にしても、回りの大人の誰もが大抵はそのことについて無知であったからです。

つづく