臭いものには蓋

セラピストの仕事をしていると、人間というものがいかに都合の悪いことから目を逸らそうとするかということを、いやというほど見せ付けられます。

それは、決して私のところにいらっしゃるクライアントさんが特別なわけではないというのは明らかです。私自身を含めて誰でもが、そうした傾向を持っているのです。

私はこの仕事をするようになって、そうしたことを一人ひとりの心のメカニズムとして見てきたのですが、それが個人レベルのことだけではないということがよく分かりました。

調べれば調べるほど、絶望的になってしまう原発のことにしても、取り返しのつかないことになると分かっていながらも、そのことには目をつぶって推進してきた人たちが沢山います。

私は、今もう正直言ってそのことについては絶望してしまっています。それでも、そのことについて自分なりにできることをやっていこうとは思っていますが…。

現在も被曝をし続けている福島やその他の人たちにしても、政府の言う、「大丈夫です」という訳の分からない言葉を信じたいという思いが強いのだと思います。

冷静になって情報を集めれば、子供たちや赤ちゃん、あるいは妊娠している女性などを退避させるべきであるとすぐに分かるような状況であっても、そこは見ないふりをしようとしてしまうのです。

現実に放射線は見えないですし、どこか身体に違和感を感じることもないという、ただそれだけで聞きたくない情報には耳を塞いでしまうのです。

残念ですが、それが人間の本来の性質だと言えます。こうしたことは、心理学でいう、防衛機制という言葉で説明される一つの生き延びるための方策といえるのです。

しかし、それは必ず人を幸福から遠ざけることになりますし、心の癒しではそうしたことをよく理解したうえで、手放していく作業を進めていくことになります。

人類レベル、あるいはこの日本というレベルでの癒しがどうしても必要だという気がしますが、どうしたらいいのかということになると、私には残念ながら具体的な解決策を見出すことができません。

人としてやれることはやる、その上で真の自己から見て、起きているすべてを完全に受容するということでしかないのかもしれrません。