「恥ずかしさ」から逃げない

私たち人間というのは、恥の感覚、恥ずかしいという感性を持っている唯一の動物かもしれません。実際、他の動物に「恥」があるのかどうかさえ分かりません。

きっと、「恥ずかしい」とは、「私」という想念なくしては在り得ない感性なのでしょう。だからこそ、人間に特有のものだと言えるのです。

「恥」とは、動物として持っている自己防衛からくる純粋な反応とは異なります。私たちは、死なないと分かっていても、恥をかくことを場合によっては命がけで避けようとするのです。

これは、生命の危険からやってくる恐怖とは明らかに異なる、別の種類の恐怖です。言わば、精神がでっちあげたニセモノの恐怖であると言うことができます。

子供が3歳前後になると、急に恥ずかしがるという行動をするようになる場合があります。それは、それまでなかった「私」という想念をでっちあげたことが原因なのです。

「私」がここにいるとなれば、それはもう自分の力で自分を守らねばならないと信じるようになるのですから、その恐怖は尋常ではないはずです。

そのバリエーションの一つが「恥」なわけです。もしも、幼いころに「恥ずかしい」に負けないでいることができたなら、自己犠牲はずっと小さなものだったと断言できます。

この恥ずかしさは、とても大きな個体差があるものです。ある人が死ぬほど恥ずかしいと感じることでも、別の人はどうってことないと感じることもよくあります。

性差も関係してくるかもしれませんし、生まれ育った文化も大きく影響しているはずです。つまり、「恥」の感覚はすべての人間に対して一律ではないということをよくよく理解することです。

「恥」は、思考が作り出した恐怖の一つの形態であるということにも気づき、できるだけそれから逃げずにいることが最も大切なことなのです。

今までに、自分が体験した様々な「恥」から逃げずに、正面から向き合って、それと共に居ることでそれを開放することができるのです。

自分固有の「恥」から解放されると、それは恐怖からの開放を意味します。そうなったら、人生を丸ごと楽しめるようになるはずです。

「恥ずかしさ」から決して逃げない、という決意をしましょう。そして、それを実践することです。恥ずかしさを友として過ごす覚悟をすることです。