「惨めさ」が作り出す感情を味わう

私たちが最も見たくない自分の姿とは、「惨め」な自分なのです。だから、「惨めさ」とは癒しをする上で忘れてはならないキーワードでもあるのです。

辞書で、「みじめ」の語源を調べてみると、「見じ」と「目」からなる語であることが分かります。「見じ」の「じ」は打ち消し推量の助動詞で、「見たくない」の意味だそうです。

たとえば、「負けじと頑張る」という際の「じ」も、同じ打消し推量の助動詞です。一方、「目」は「痛い目に合う」や「ひどい目に合う」の「目」と同じく、経験やある事態に出合うことを表すのです。

ということで、「みじめ」は見たくないような事態にあることから、かわいそうで見るに忍びないこと、情けないさま、あわれなさまを意味するようになったのだそうです。

だからこそ、「自己防衛システム」は自分の「惨めさ」を自分自身に対しても、他人に対してもできるだけ隠そうとするのです。

「惨めさ」そのものは、感情ではなくて思考そのものです。ある事態を知覚してそれを思考が都合よく「惨めさ」として認識するのです。

したがって、本当に「惨め」な自分がいるわけではありません。「惨め」だという想い(思考)があるということなのです。

そして、その「惨めさ」は恐怖や自己嫌悪などの否定的感情を生み出すのです。自分の心を癒すためには、必ず幼い頃の自分の「惨めさ」と向き合わねばなりません。

そして、それが作り出した後に心の奥底にしまいこんでしまった、否定的な感情を丸ごと無防備に感じきることです。

そうすると、現在の自分の人生で「惨めさ」に遭遇することが格段に少なくなっていくはずです。ぜひ、試してみてください。