無に身を委ねる その2

昨日のつづきです。

~久しぶりに、ガンガジの言葉より~

何かをする、保つ、隠す、守る、弁護する――どんなにたくさんの理性の戦略が湧き起こっても、この無限の平安は常にここにあり、それはあなたの本当の避難場所です。

実際それこそがあなたの本当の顔なのです。あなたの本当の顔を見つけるのに、長年の精神修行は必要ありません。なぜならそれはいつでもそこにあるからです。

今よりもよい人になる必要もありません。たった今、あなたがどこにいようと、自分をどういう人間だと思っていようと、あなたの本当の顔は光り輝いています。

でもそれは実は顔などではなく、性別もなく、形もありません。それはただあるがまま、輝きそのものとして輝いているだけなのです。

私たちがそもそも自分を誤ったものと同一視し、本当の顔を覆い隠してしまうのはなぜなのか、とよく聞かれます。

それに関する精神的、形而上学的な理論はいろいろありますが、私が一番納得できるのは、本当の顔を発見する強烈な喜びは、顔を隠すことによる強烈な苦しみがあって初めて可能になる、というものです。

あなたの人生において、見つかることへの欲求が起こったとしたら、見つかるときが来たのです。今こそ、無という概念から隠れるのを止めて、無の真実の中に立ち戻るときです。

その中に身を委ねるときが来たのです。そうしたとき、間違った自己認識の習慣、コントロールと身を隠すための戦略、身を隠さなければならない、という条件付けられた信念などがすべて明らかになり、あなたはただあなたであるための自由を得ます。

個体化がもたらす力は、経験としては素晴らしいものであり、それ自体には何の問題もありません。でもそれは身を隠すという経験であり、完全な全体が個人という仮面を被るという経験です。

今こそ、この完全な全体が、個人という仮面を貫いて輝くことが可能です。必要なのはただあなたにその準備ができていること、その意思を持ち、『ええ、私には準備ができています。本当に、見つかる準備ができています』と宣言することだけです。

もちろん、あなたはもう何百万年も、この人間という特定の遺伝型の様々なバージョンに隠れてきているわけですから、『いいえ、まだ、まだもうちょっと経ってから。今はまだそのときではない』と囁く大きな力が顔を出すでしょう。

でも私は言います。そう、今です。過去からのどんな圧力がそれを阻もうとしても、今こそ見つかるときです。

すると、あなたを固定の枠にはめようとする力は、あなたの帰郷の道を照らす大きなかがり火の燃料となるでしょう。

あなたの中にある過去の条件付けのすべてを、このかがり火の中に、真実の自己探求の光の中に照らし出してごらんなさい。