惨めさの原点

昨日のブログでは、自分の「惨めさ」、自分は惨めだという思いから逃げようとして、自己防衛をするというお話しをしました。

そうした自己防衛によって、惨めさが作り出す否定的な感情を見ないようにするわけです。その惨めさの大元とは一体何なのでしょうか?

それは、幼い頃に自ら作り出した、「自分はいらない子なんだ」という思い込みです。この自分の存在否定ほど、大きな惨めさはありません。

これが、その後の人生において自分の存在価値に気づけなくなってしまう理由の大きな一つであるわけです。

しかも、このどうしようもない惨めな思い込みは、本人の記憶がないような相当に幼い頃にやってしまうと見て間違いありません。

そして、その思い込みを一度作りこんでしまうと、今度は「やっぱり自分はいらない子なんだ」と思わざるを得ないような事態がさまざまやってくることになってしまうのです。

それは、その子の心の中に溜め込んでしまった惨めだと言う思いのエネルギーが、それが本当のことなのだと証明するかのように、次から次へと惨め体験を引き寄せるのです。

そうやって、惨めなのは本当なのだという強い思い込みと、それに対抗する強烈な自己防衛システムが構築されることになるのです。

催眠療法などで、自分の幼い頃の惨めさを再体験することができますが、それは初めに「自分はいらない子だ」という思い込みをした、その後のことを再体験している場合がほとんどです。

「自分はいらない子だ」という惨めさの原点を探し、それはただの思い込みに過ぎなかったという視点と、その奥に隠された感情を思い切り感じきることで、人生の質が変化してくるはずです。