完全に諦めたとき、それはやってくる

仏陀は、何年もの間にあらゆる師のところに出向き、弟子として教えを乞うのですが、師の方からもうお前に教えることはなくなった、頼むから他の師のところに行ってくれと言われ続けたのです。

彼自身もどんな苦行にも耐え抜いて、これ以上もうどんな努力もすることができないというところまでやり抜いたのです。その結果、何も起こらなかったのです。

もう本当にやり尽してしまった彼は、放心状態となって、菩提樹の木の下で寝てしまったのですね。それは、本当の意味での深い睡眠をとったのです。

なぜなら、苦行中の睡眠などというものは、心からの安らぎなどを感じることもできなかっただろうからです。全くの熟睡が終わって、最後の星が空から消えかかった早朝に彼は目覚めました。

その時に、彼は自然と覚醒したのです。もうどんな努力もできない状態になり、どこへ行くことも何をすることもできなくなった正にその時に、それは起きたのでした。

そして、こうしたあらましが、あらゆる難行苦行は無駄に終わった。ただ心静かにしている間に光明を得ることができたというところばかりが強調されたのです。

だから、私も騙されていました。本当は、そうした苦行を経て、あらゆる努力は無駄だったと気づけたことによって、彼は覚醒したのです。

最初から努力などいらないのだと、どれほど理性で理解できたとしても、それは役には立たないのです。う~ん、とても残念なのですが、どうもそういうことらしいですね。

私は努力が嫌いなので、修行せずに覚醒できる道が一番いいと思っていたのですが、あらゆる修行はそれが役に立たなかったと完全に降参するためにこそ、必要なのだということです。

エゴを使ってでも、全身全霊で努力すること。そして、どうもがいても、自分の思ったようにはならないのだと知ったときに、人は完全に力を抜くことができるのです。

すべての努力が実らないと悟ったときに、本当の悟りがやってくるのですね。