自分の不死性

私たちは、生まれたその瞬間から死ぬ日に向かって、一歩一歩近づいて行っているのです。つまり、誕生とともに、死へのカウントダウンが始まるというわけです。

初めて人は死ぬのだということを知ったとき、子供は大変なショックを受けるのですが、その恐怖がなかなか受け止めがたいものなので、その恐怖を心の奥へとしまってしまうのです。

それがあらゆる恐怖の大元となっているのは間違いありません。そして、お年寄りは死が身近に迫ってきているものの、自分はまだ子供だし、あるいは自分はまだ若者なのだから死について考えなくてもいいとして生きるのです。

人間以外の動物は死について知ることはありません。だからこそ、動物には私たち人間のような心理的な恐怖、それが原因となる心理的苦悩というものがないのです。

動物は、目の前で動物の死を目撃しても、それを自分の事に照らして見るということができないのです。だから、死について無頓着でいられるのです。

人間は、そうはいきませんね。誰かの死を知れば、自分にもいずれはそれがやってくるということを思い起こされるので、またあの恐怖を思い出したりするのです。

死を恐れるあまりに、それから目を逸らし続けていれば、いつまでもその恐怖が人生のあらゆる場面について回るのです。そこから脱出するためには、死をもっと身近なこととして見ることが必要なのです。

そして生きることと同じくらいに死について見つめることができると、私たちは誰もが生死を超えた存在であるということに気づくことになるのです。

死について忘れて、人生でどれほど嬉しいことがあったとしても、それはまやかしでしかありません。死は毎瞬毎瞬迫ってきているに違いないのですから。

瞑想中に、自分の身体が死んでまったく動かなくなったというイメージを強く持つようにすると、本当に身体が異常なほど重くなり、自分自身が身体から離れたような感じになります。

そのときに、自分は身体ではなかったという実感を得ることができるのです。身体は、生まれては死に、生まれては死にを繰り返すのですが、自分はそれとは違う存在であると実感できるのです。

自分の不死性を見いだせたとき、本当の自己との出会いがそこにあるのです。