私たちは、じっとして何もしないでいるということがほとんどありません。そして、誰かと一緒にいて、ただ黙っているということにも耐えられないものです。
常に何かをやっているし、誰かといれば必ず何かの会話をし出すのです。二人以上の人が一緒にいて、互いに何もせずに、尚且つ誰もが黙っているという状況を想像すると、ちょっと怖い感じがしますね。
これは、自我(エゴ)が創り出した罠に違いありません。私たちは、他人が怖いのです。その恐怖を少しでも避けるために、できるだけ会話をしようとするのです。
何気ない会話は、その場の雰囲気を和ませる力をもっていますので、感じていたはずの恐怖を気にせずにいられるようにしてくれるのです。
もしもチャンスがあったら、試して欲しいのですが、誰か気の合う仲間や家族と一緒に、一つの空間を共に過ごすのですが、互いに何もせずに何も会話をしないようにするのです。
互いを無視するでもなく、かといって意識し過ぎるでもないという状態をしばらく続けるのです。初めのうちは、慣れないために違和感を感じるでしょう。
けれども、その状況に慣れてくると、その場の静けさがとても心地いいものになるはずです。そして、その外側の静けさは、容易に自分の内側にある静寂さへと意識を繋げてくれるのです。
そして、その心地いい余韻は、その後独りになってからもしばらくは続くでしょう。その時、一体自分はどれほど無駄な会話という騒音の中で過ごしてきたのかを発見することになるのです。
家族や恋人と一緒に道を歩いている時も、しばしの間会話を中止するのです。そして、もしも道端に咲いている花を見つけても、「きれい~!」と言わないことです。
言葉にすれば、必ずそれは思考を伴ってしまうからです。せっかくの沈黙をそんなことで中断しないようにすることです。そうして、静寂を楽しむのです。
静けさは必ず、意識を内面へと向けてくれるのですから、それを利用しないという手はありません。こういった方法は、ときとして独りで瞑想するよりも効果があるかもしれません。
誰かと一緒にいて、完全に無防備でいられるということは、途方もなく味わい深い瞬間を創りだしてくれます。こうした一種のワークを理解してくれる仲間がいる人は、是非一度試してみて下さい。