この二元性の世界においては、常に対立するものがあって、それが存在するのです。つまり、夜があるからこそ昼があり、闇があるからこそ光があるということです。
もしも、一度も具合が悪くなったことのない人がいたなら、その人は健康というものを実際に理解することはできないのです。知識として健康を知ることは可能ですが、それを体感することができないのです。
同様にして、もしもあなたが不幸せな状態を経験していなければ、どれだけ頑張っても幸福感を味わうことはできないということです。
谷があるから山が存在できるのです。ということで、少し不思議だなと思ったことがあるのですが、それは私たちは誰も死んだ経験(記憶)がないのに、生きていることを経験しているということ。
なぜ、生の対極である死の体験がないのに、生について分かっているのでしょうか?なぜ自分は今人生を生きていると理解できるのかということです。
それで思ったのですが、もしかしたら私たちは誰も本当には「生きている」ということに気づいてはいないのではないかということです。
「生きている」と思い込んでいるだけなのかもしれません。かつて、テレビ番組か何かで臨死体験をした人の特集をやっていたことがあったのですが、臨死体験をして生き返った人は、その後の人生の生き方が変わるということでした。
ということは、彼らは一度ある意味では死の経験をすることができたために、生き返ったあと、本当に生きるということの実体験ができるようになったのかもしれません。
臨死体験に限らず、まさに死の淵まで行ったような、とても危険な経験をした人たちは、その後の人生において何かが変わるということを聞きますね。
これこそが、死の体験があって初めて、生を体験できるということなんだろうと思うのです。自己防衛に明け暮れるだけで、死に際の経験がない人は、どう頑張っても煌めくような生の経験ができないのです。
それはまるで眠っているような人生と考えられるかもしれません。少しでも、死をリアルなものとして感じることができれば、生をより豊かに生きることができるのではないかと思うのです。