親を助けたいという気持ち

親というのは、誰にとっても特別な存在ですね。特に幼い子供にとっては、親なしでは生きていけないことを知っているので、まさしく特別であるわけです。

その特別な親に愛されたい、気持ちを受け止めて分かって欲しいという思いを持っていない子供は、一人もいないはずですね。

けれども、どの親も当り前のごく普通の人間でしかありません。絵に描いたような理想的な親というのは、そうそう探しても見つかるものではないのです。

したがって、どの子供も100%確実に親に対して不満を抱えているのですが、どうやってもその不満を解消することができないと分かると、自分の気持ちを紛らす様々な方法を編み出すのです。

その一つは、親から欲しいものを与えてもらえないなら、自分が親を必死で助けることでその辛い気持ちを忘れようとする方法です。

この方法は実に画期的です。なぜなら、自分が親を救おうとすることで、親と子供の立場が逆転してしまうために、きれいさっぱり本当は自分が助けて欲しいと思っているその切実な想いを、忘れることができるからです。

もしもあなたが、子供のころに親のことを可哀想に思っていたり、何とかして自分が助けてあげなければいけないと感じていたとするなら、それこそが強力な防衛方法だったということを疑う必要があるのです。

大変そうな親、可哀想な親、苦しそうな親というのは、そうした子供の心をがっちりとつかんで離さないのです。その子供は、自分のことを後回しにしてでも、親を助けようとしてしまうのです。

それが結果として、多大な自己犠牲の蓄積を生み、未来に向けての負の遺産となってしまうことに気づくことはまずありません。

自己犠牲のつけは、怒りという感情のエネルギーに変換されて、いつかは爆発することになるはずです。そのときに、なぜ大切な親に自分はこれほどまでの怒りを感じるのか、きっと理解できないでしょうね。

親を助けようとばかりしていたはずの自分が、心の奥では親を憎んでいたということが多々あるのは、こうした心の働きがあるのです。

どんな感情が見つかったとしても、それをそのまままずは認めてあげることです。そのうえで、じっくりと過去を見つめて、癒しを進めていけばいいのですから。