私の中心も宇宙の中心

世間では、一本筋の通った人物というのが好まれますよね。その人の主張することには、常に一貫性があり、周囲の意見に左右されず、つまり心がぶれない状態であるということです。

こういうタイプの人物が、大勢の人たちのリーダーになる資格があるのかもしれませんね。けれども私は、若いころからこれと言って自分独自の考えというものを、持ったことがありませんでした。

誰かがこういうから、ああそうなのか、それは尤もだなと思うのですが、また別の賢い人が違うことを言えば、やっぱりこっちの意見の方が優れていると思ってしまうのです。

つまり、周りの人たちの意見にいつも影響されて、確固とした自分の意見というものがなかったのです。それは、学生の頃には、かなりの劣等感になっていたと思います。

社会人になって、それではみっともないという自覚があったので、自分の色を出そうと思って頑張ったあげく、そのふりをしたこともありましたが、結局長続きしませんでした。

なぜなら、自分の主張することが本当に自分にとって大切なものかどうかすら、自信がなかったのですから。結局、自分という人物は、どこまでもこれといった意見など持っていないのだと気づいたのです。

これは社会人としては失格なのです。だから、本当のことは誰にも打ち明けたことはなかったのですが、当の本人が気づいてしまっているので、もうどうしようもなかったのです。

何かについての議論をゲーム感覚で楽しむことは、ある程度はできるのですが、真に興味があるかといえば、絶対的にないというしかないのです。

したがって、この際はっきりと告白しますが、私には独自の主義なり信念といったものがかなり欠落してしまっているのです。しかもずっと以前から。

だからこそ、サラリーマンを辞めてこの仕事をするようになって、本当に楽になれたのです。それまでの偽りの社会人の仮面を、もう被る必要がなくなったからです。

そして今となっては、主義も信念もいらな~い!と明言できるようになったのです。一貫性もなく、一本の筋も通っていなくて結構。自信などなくても、楽しく生きて行くこともできるのです。

闘いから手を引けば引くほど、そうなって行かざるを得ないのです。私という人物には、頼りになる中心など必要ないということです。

なぜなら、私の真の中心はそのまま宇宙の中心に違いないと気づいたのですから。(ただし、時々、人物の中心が戻ってくることもあって、そのときには人生にうんざりしている自分を発見することになるのですが…。)