小さな子供というのは、成人よりも無力なので、より自分を守らねばならないという状態にあるのです。それが元となって、子供は白か黒かという極端な物の見方になりがちなのです。
向うから歩いてくる人が、自分にとって危険な人なのかそうではないのかと、なるべく素早く判断しなければならないのですから、そのどちらでもないという中間では困るのです。
いい人か悪い人か、安全な人か危険な人かを咄嗟に判断する必要があるわけです。だからこそ、大人のようなグレーゾーンでは生活ができないのです。
大人になっても、そうした子供のころの防衛が色濃く残ってしまうと、やはり白か黒かといった極端な見方というものをし続けることになるのです。
この世界には、まっ黒や真っ白といった極端はなくて、黒を含んだり白を含んだりといった中間の状態がすべてなのです。したがって、部分的な見方から全体的な見方へと変える必要があるのです。
例えば、あなたにとっての命の恩人がいるとします。その人にセクハラやパワハラをされたとしたら、どうするでしょうか?はっきりとした態度で、「ノー」を言えますか?
もしも言いづらいということなら、それは部分を見ていることになります。人をトータルで観る目があるなら、その人がいかに恩人であろうと、そのことといやなことをされたこととは十分に両立するということに気づくはずです。
物事をトータルに見ることができるなら、大切な人に対して、愛すると同時に憎むこともできると理解できるはずです。それは一つのマインドの中に共存できるのです。
人生に起きることも同じようにトータルに見ることができれば、幸福なときがあれば不幸なときもやってくるということを、そのままに受け止めることができるはずです。
そして、トータルな見方で生きることができれば、それだけ幸福か不幸かという極端から解放されて、そのどちらでもない、淡々とした人生へと向かうことになります。
幸せにしがみつこうともせず、不幸から逃れようともしないで、やってきたものをそのままにしておけばいいだけです。そうすれば、両極端はすぐに流れていってしまうでしょうね。