真理の探究は不毛!?

私たちの誰もが、心の奥深いところで真理を追い求めているのですが、表面的にはそんなことは何の助けにもならないとして、忘れてしまっているのです。

それよりも、どんな人と結婚できるかとか、どうやってこの社会の中で活躍していくかということの方が大事だと考えているのですね。

それは尤もなことだと思いますが、実はそうした現実的な日々の生活のことと、真理の探究とは本当は決して相容れないものではないのです。

ただ、やり方というか探究の方向が真逆なだけなのです。現実を見るとき、私たちは常に外側の世界へと目を向けるのですが、それは外側のものを使ってどうやったら自分が満たされるかという探究なわけです。

それに対して、外側に目を向ける代わりに、内側に目を向けてその奥底を探究することが真理の探究に近いということです。

私たちの不満は内側にあるので、そこを探究することの方が理にかなっているのです。つまり、探究者を探究することの方が、より真理に近いのです。

そうやって真理を追い求めることだって、本当はどうやったら満たされるのか、満ち足りた心になれるのかという探究に違いないのです。

けれども、ずっとそんな探究をやり続けているうちに、どうやらその探究こそが真理から遠ざける最大のブレーキになっているということに気づくことになります。

外側の世界で自分を満たそうとする探究も、内側の自己に気づいてそれを満足させようとする探究も、結局は不毛に終わるということです。

最後に残るのは、本当に何もせず、ただ静かに坐ること。私たちのマインドが満たされることは決してないので、満たそうとする探究を落とすこと。

結果を求めずに、ただそうしていると、真理はひとりでにやってくるのでしょうね。