まったく学習しない本当の理由

私たちは、何度も何度も繰り返し同じことをしても、それについて本当には学習することがありません。だからこそ、何度でも輪廻を続けてしまうのです。

この人と結ばれたら絶対に幸せになれる、そう信じてそれが実現しても、いずれはその人は自分の理想とは違う部分が沢山あったと気づき、別れることになるのです。

そうして、また次のターゲットを見つけては、今度の人は絶対大丈夫。前のようなことにはならないはず、そう信じて結ばれたはずなのに、しばらくするとまた同じことになってしまう。

そうやって、今度こそ、今度こそと同じことの繰り返しを続けて行ってしまうのです。学習しないとはそういうことです。そのターゲットが人であれモノであれ、同じこと。

あれさえ手に入れることができたら、絶対幸せになれると思うのです。いざ手に入っても、嬉しいのは一時だけで、すぐに不満な気持ちがやってきます。

そして別の何かをゴールにして頑張り始めるのですが、運よくそのゴールを達成することができたとしても、やっぱり一時の悦びも束の間、また慣れ親しんだ不満はやってくるのです。

なんでこんなに学習できないのだろうか?一回の人生においては、さすがに終わりに近づくにつれて、ある程度は学習することになるはずなのです。

ところが、死に行くときに、肉体の死という衝撃に耐えきれずに、意識をなくしてしまうのです。つまり、危篤状態になるということですね。

そのために、次の肉体へと移るときに記憶を失くしてしまうのです。だからこそ、またゼロから人生をスタートさせることになってしまうのです。

何万年繰り返しても、一向に学習しないのはそのようなからくりがあったということですね。無駄な人生を繰り返したくないなら、是非とも意識を持ったまま死に行く必要があるのですね。