外的世界と内的世界

私たちは、自分の世界を二つに分類することができます。一つは、外的世界であり、もう一つは内的世界。どちらに重きを置いて生きるのかによって、生き方に大きな違いが生まれます。

外的世界というのは、みんなで共通に認識できる世界の事です。たとえば、社会というのは当然この外的世界に含まれるわけです。

この世界でどのようなことが起こったか、人類の歴史はどうかなど。したがって、外的世界を中心に生きる人は、誰がどのように活躍していて、それと比べて自分はこのレベルだろうということなどが大事になるのです。

外的世界では、その中心となるものは物理的な出来事です。だからこそ、みんなで認識をシェアすることができるのです。そこに主眼を置いている人は、そこが自分の生きる場所だと思っています。

自分は何をしてきたのか、何ができるのか、社会での自分の位置づけはどのようになっているのか、そのようなことが大切な観点となるはずです。

その一方で、内的世界で生きている人は、物理的な出来事そのものにはさほど興味を示しません。常に、自分の内面の方に目を向けているからです。

その目線は、他人の内面に対しても同じように向けられるため、相手がどのような気持ちでいるのかとか、他人がどう感じているのかということに、気を遣うようになってしまいがちです。

したがって、内的世界で生きる人の方が、外的世界で生きる人に比べて、生きていることのストレスが多くなる傾向にあるのは仕方のないことです。

そして、その両者は互いに相容れることができません。そのため、例えば親が外的世界で生きる人であって、子供が内的世界で生きるなら、子供は親と同じようにできない自分を責め、苦しむことになるのです。

それに加えて、外的世界で生きる人は、社会への順応という観点ではより優れているはずです。興味の対象が社会的な範疇にあるからです。

そうなると、そういう親の元で育てられた内的世界で生きる子供は、決して分かってもらえない内面の苦しみを抱えて、親との距離感を引きずりながら生きることになるのです。

そもそも、外的世界で生きる人は、このような内容の文章にもあまり興味を示すことはないかもしれません。なぜなら、この内容自体が内的世界の範疇に入るものだからです。

このブログを読んでいるあなたも、私と同様にきっと内的世界で生きているはずです。そのことに気づき、どうもしっくりこないと感じる相手は、外的世界で生きている人なのではないかと疑ってみることです。

そのことに気づいたなら、長年のモヤモヤが一気に解消するかもしれませんね!