共にあることも一人あることもできない

あなたは<全体>とひとつだ。
いかに独りでありえよう?
いかに共にありえよう?
なぜなら<全体>の他には誰もいないからだ。
<全体>とは<全体>だ-他には何もない。
その外には何もない-それゆえに、
それは誰とも共存できない。
共にあることが不可能なのはそのためだ。
が、独りあることもできない。

by osho

 

人間は誰であろうと例外なく孤独です。それを感じていようが感じていなかろうが。なぜなら、個人だという思い違いをずっとしているのですから。

個人であることに基づく孤独に気づいていないとしたら、それは周りにいる誰かを利用して、その孤独を紛らわしているだけなのです。

この身体の内側だけが自分であって、外側の世界は自分とは切り離された別物だという感覚こそが、個人であるわけで、それが孤独でないはずはありません。

人生とは、その孤独感やそれからやってくる不安感とどう戦うかという物語でしかないのです。乗り越えたつもりになっているなら、気づくまで人生は繰り返されるはず。

真に気づくためには、孤独の中へと入っていくしかありません。それは何も山奥で隠居生活をするということではなく、社会の中で内側に意識を向けるということ。

エゴが活性化している状態で、そのエゴを見つめることができるなら、osho が言うように、個人という幻想に気づき、全体性に戻ることになるはずですね。