悔しさと惨めさの根っこにあるもの

私たちは、傷つきたくないと思いながらも、時として傷ついてしまうことがありますが、それが人生というものですね。

身体の傷は目に見えるので隠しようがありませんが、心の傷は他人に対しても、場合によっては自分自身に対しても隠すことができるのです。

そして人知れず悔しい気持ちになったり、惨めな思いをしつつも、頑張って生きているのです。なぜ悔しくなったり、惨めになるかというと、被害に遭ったと思うからです。

つまり、傷ついたことよりも、傷つけられたという被害者としての想いこそが、悔しさと惨めさを生み出す張本人なのです。

ただし、ここではっきりさせておく必要があるのですが、身体は物理的に傷つけられる可能性がある反面、心は決して傷つけられることはできないということ。

あなたのマインドを傷つけるのは、あなたのマインドにしかできないということ。この事実を深く深く理解することができるなら、傷による悔しさも惨めさも小さくなるはずです。

自分を精神的に傷つけられるのは、自分自身だけだと分かれば、それ以降決して被害者になることはなくなるからです。

私自身、以前からこうしたことを聞いていたものの、なんとなく釈然とせずにいたのですが、自分を癒していく間に、あるときズシンと来るものがあったのです。

それまで何だか腑に落ちないなと思っていたものが、突如として深く納得することができたのです。分かってしまえば、簡単なこと。

思考から抜けている時には、どんな環境であれ決して傷つかないということを体験したのです。つまり、傷つけるのは、自分のマインドがやっている判断や防衛だったのです。

私たちが意識的であればあるほど、いずれは内面を傷つけることがなくなっていくということです。それを体験できれば、悔しさや惨めさを隠すために、誰かに復讐しようとも思わなくなるのです。

そして傷ついた出来事への執着が消えて、自由の身になることができるのです。それまでは、残念ながら囚われの身として生きていくのでしょうね。