信念はいらない

10代の頃に、神はいるに違いないとか、いやそんな存在はいないだろう、などととりとめなく考えていたことがありました。私の内面の特徴は、その考えがコロコロと変わることでした。

つまり、しっかりした信念というものがなかったということです。何か他人から聞きかじった情報によって、すぐにそれを信じてしまったりしていたということです。

今となっては未熟な自分であっても可愛いなあと思えるのですが、信念がないというのは実は今でも変わらないのです。

というのも、神はいると信じることと、神はいないと信じることはまったく同じことだと分かるからです。一つのコインの表と裏の関係のようなもの。

信じたり信じなかったりというのは、どちらも物語の中でのこと。違う表現をすれば、神は信じたり信じなかったりするターゲットではないということ。物語の外側だからです。

これが全体性であり、真実と言うことです。どんな言葉を使おうと構わないのですが、こうした理解をしない人が神について話しているのを聞くと、ただ黙っているしかないのです。

なぜなら真実は、信念の対象でも議論の対象でもなく、ただ在るものだからですね。