物語の外側にだけある至福感

物語というのは、嬉しい時楽しい時には、本当にそこから抜けたくなくなるし、それがずっと続けばいいと願うものです。

人生が上手く転がっているときには、「この世の春を謳歌する」のような表現があるくらいですから、物語であることなど忘れてしまいます。

一方で、願い通りに行かなかったり、嫌な出来事が連続して起きたりしたら、気持ちも荒んで、落ち込むことになるかもしれません。

そんなときにも、やはり物語であることを忘れて、なんで自分の人生はうまくいかないのだろうと思うのです。

物語とは、いい時も悪い時も刺激的なのです。刺激がなければ、抑揚がなければ物語は消えていってしまうからです。

ところで物語の中に入り込んでいたことに気づけると、そこにはある一定の静かな至福感があることにも同時に気づくことができます。

ただしそれは非常に静寂で、刺激がまったくないために強い刺激の物語の中にずっといる人にとっては、本当に気づきにくいものなのです。

例えて言えば、味の濃い刺激的なジャンクフードばかりを食べていると、非常にうす味で奥深い風味の京料理などが、味気ないつまらないものに思えてしまうのと同じです。

いい時であれ悪い時であれ、人生物語を見ることを忘れずに入られると、そこには必ず在る至福に気づけるようになるのです。それを信頼と言ってもいいかもしれません。

それ以上の救いはないですね。