こだわりは不安からやってくる

人は誰でも、自分の好みというのがありますね。それが強くなると、こだわりといったりもしますし、こうでなければならないと感じたりもするのです。

そういった強い思いというのは、本当のところ自分自身を縛ることにもなるし、周りの人に迷惑をかけることにもなりかねません。

例えば私の場合ですが、テーブルの上にある各種のリモコンたちが、あちこちに向いているのが嫌なのです。

なるべくテーブルに対して、まっすぐに並んでいると気持ちがいいのです。どうでもいいことのようでいて、本人としては是非そうなっていて欲しいのです。

色鉛筆の順番がバラバラになっていたりすると、ちょっと気持ち悪くて、少し時間をかけても元々の綺麗な並びに戻したくなるのです。

何に対してもきちっとしていなければ気分が悪いというのでもなく、だから自分でもその規則性が未だに分からなかったりするのです。

ガスの元栓とかをいちいち切るということもないですし、小まめに電気を切るというわけでもありません。

こうした当人だけの傾向というのは誰でも持っていると思うのですが、ここで大切なことは同じことを人に押し付けないということですね。

近くにいる人たちが、自分とは違う傾向を持っているとしても、あるいは自分のこだわりに気を配ってくれないとしても、それはそれでいいのです。

個人的なこだわりとか、場合によっては正しさのようなものというのは、所詮は不安からやってくるものだと理解することです。

不安を不安として、孤独を孤独として、対処することなくただ見ていられるなら、こうしたこだわりや強い思いというのも自然と小さくなっていくはずですね。