無力さを受容する

生まれたての赤ちゃんは、自分では何もできずにいますが、成長するにつれて、ハイハイができるようになった、立つことができたと言っては周囲に喜んでもらえるのです。

そうした周りからのシャワー、できないことができるようになったことが素晴らしいというエネルギーを受け続けるわけです。

その結果、物心がつく頃には自分自身で何かが「できる」ということが価値があると理解するようになるのです。

けれども、まだ幼い子供には周りの大人のようにはできるわけもなく、そんな自分の無力さを感じて惨めになったりするのです。

結局人生というのは、そうした自分の無力さ、非力さ、無能さから脱却して立派に何かが「できる」ことを証明することに費やされるのです。

大人になって、「できない」ことよりも「できる」ことに目を向けるのは、そうした事情があったわけです。

そしてその先には、自分の無力さから目を背けずに、それをただそのように受容するという生き方が待っています。

無力さを受容するなら、自分という個人としての存在は小さくなって行き、しまいには曖昧になって消えて行くのです。

それこそが本当の自分に気づくということなのですね。