最近の梅雨空続きの景色を見ていると、なんだかどんよりした気分になってしまうのですが、そんな時にそれを感じているのは誰なんだ?と見ることにしています。
すると、確かに自分ではあるのですが、非常に表面的な部分であることに気づくのです。
逆に抜けるような青空を見ながら、ゆったりしているとなんて清々しい気分だろうと感じるのです。
そうしたら、やはりそう感じているのは一体誰なんだ?と見るのです。そうすると、そのときにもそれを感じているのはあくまでも表層の自分だと気づくのです。
そしてそのどちらの場合にも、まったく変化というものがあり得ない、ずっとそこに在るだけの自己に思い当たることになるのです。
これはどんな場合にでも当てはまるのです。何か嬉しいことがあったときに、喜んでいるのは誰なんだ?と見てあげる。
何か困ったことが起きている時にも、困ったなと思って立ち往生しているのは誰なんだ?と見るのです。
どんな状況であれ、どんな気持ちのときであれ、いつだってそういうことには一切かかわりのない、純粋な自己があると気づくのです。
これこそが自分の真のよりどころになるのです。これ以上安心を与えてくれるものはないのでしょうね。