生身の体験に勝るものはない

クルマの試乗に行ってきたのですが、1台目は購入の意志がほとんどないクルマで、2台目の方はいずれは購入しようかと考えているクルマでした。

試乗する前にも、ネットなどで様々な情報を見聞きしていたので、自分なりには結構分かっているつもりでした。

ところが、実際に試乗してみたところ、勝手に持っていたそれぞれのクルマに対する印象がまったく変わってしまったのです。

購入を希望していたクルマは、何か不自然な感じがして、それがクルマから発せられる様々な音だと気づいたのです。

極端な言葉を使えば、居心地が悪いというか、とても残念なのですが自分の中の何かが拒否している感じ。

逆にまったく購入しようとは思っていなかった方のクルマは、実に爽快な感じで運転ができたのです。

どれほどの情報を見聞きしていたとしても、生身の体験に勝るものはないということですね。

真実も同じこと。誰のどんな言葉も役に立たないばかりか、まったくもって個人的でしかも内的な体験を通してのみ実感するもの。

こればかりはシェアできません。瞑想が孤独なのはそういう理由なのです。けれども、孤独を通り抜けた先には全体性という真実のみが広がっているのですね。