部分が全体を欲している

誰もが根本的に抱え込んでいる(と思い込んでいる、あるいは感じている)問題とは、自分は全体から切り離された部分だということ。

部分が全体を欲しているのです。部分は全体が愛おしてく、それを取り戻したいと切に願っているのです。

その根源的な願いが、形を変えて欲望というものになってしまったのです。それこそが、「何だか足りない!」「満ちていない」という欠乏感。

自分は足りていないので、外側の世界から入手することで不満を解消しようとして人生を浪費するのです。

それがお門違いだということが分かれば、そのバカバカしさに気づけば、いずれは欲望は自然に落ちていくのでしょうね。

足りない部分を何かで補充しようとしても、部分は部分のままでしかなく、どのようにそれを修飾したところで全体には戻れないのですから。

だとしたら、やることはただ一つ。自分は部分ではなく、元々の全体だということに気づくこと。それ以外には満たされるすべはないということ。

だから満たそうとすることの代わりに、すでに満たされていることに気づくことを意識するのです。

常に溢れ出てくるもの、時間的な変化を見るのではなく、ただ溢れていることが永遠に起きつつあるのです。それが愛ですね。