私たち人間は社会的な生き物です。大人になるにつれて、社会の中でどのように生きていくかを試されるのです。
この社会に嫌気がさして、ヒマラヤの洞窟の中で生涯を過ごす人もいるかもしれませんが、例外中の例外ですね。
私たちのマインドというのは、そもそも人間関係の中で作られていくものなので、社会なくして人生など考えられないわけです。
けれどもここにこそ、苦しみの根っこがあるのです。マインドがどのように成長するのかを順を追って説明します。
赤ちゃんの頃はまだマインドと呼べるものはなく、ただ生き延びるための本能があるだけです。つまり社会性などないので、それを非社会性と呼びます。
私は、以前からこの非社会性のことをオリジナルと呼んだりしています。生まれる前から備わっているものだということで。
生まれてしばらくすると、親との関係性の中でマインドが作られて行き、そこで少しずつですが社会性が育まれていくのです。
このとき、非社会性の部分と新しくできた社会性の部分がバランスよく使われるならいいのですが、不安や恐怖、あるいは孤独を強く感じるような環境であると、社会性ばかりを使って生きるようになるのです。
こうなると、元々の非社会性はあたかもなかったかのように、マインドの下敷きとなってかくされてしまうのです。
社会性はその後もグングン勢力を増して、安心して生きるための術を身につけていくのです。大人になった私たちをリードしているのはこの部分です。
ところが、今度はその負担が自己犠牲のエネルギーとなって蓄積します。その結果としてマインドの中に反社会性の部分が生み出されるのです。
この部分の力によって、私が問題行動と呼ぶ面倒なことが人生に起きるのです。社会性の成長と共に、この反社会性の部分も本人の意思とは無関係に成長します。
人生を清々しいものにするためには、社会性が自らの生き方を見直して、これまで隠してきた非社会性の部分を表舞台で活躍させてあげるのです。
この両者が互いに手を組むことができるなら、おのずと反社会性は小さくなっていくのです。間違っても、反社会性をどうにかしようと思わないことですね。