私が「欲望を落とす」と言うとき、どうか誤解しないでほしい。それはあなたが欲望を落とすという意味じゃない。
そこに暗黙の了解があったら、それは落ちるのだ。不意に、あなたは問題点を見る。
生はここにあるが、欲望はあそこにある–。あなたはそれを見る。と、欲望は消えてしまう。
by osho
自我は欲望がなければ生きていけない。その欲望は、未来がなければ成立しない。だから死を恐れるのです。
自我は未来という空間に欲望という絵を描いて、それを原動力に生きているのです。まるで、鼻づらに人参をぶら下げられた馬のように。
ところが、生は今この瞬間にのみあると↑言っているのです。今ここだけが生きる場なのに、自我は欲望頼みなのですから生を楽しむことができないのです。
生を楽しむためには、無邪気な子供のような瞬間を思い出すことです。屈託無く笑い、大声で唄い、身体を使って踊ることです。
お母さんの自転車の後ろに乗って、自分で作ったデタラメな唄を歌っている子供に出くわすことがありますが、その子にとっては今その瞬間がすべてだと分かります。
歳を重ねてくると、遠くにしか見えなかった死がそれなりに身近かに感じるようになるのです。すると、未来という空間が次第に狭くなっていくのです。
そのおかげで、未来よりも今この瞬間を大切にしたいという思いが強くなっていくように感じます。これは若い人には無理かもしれませんね。