自分が歩んできた人生という道をゆっくりと見つめてみると、何一つ無駄なこともなかったし、すべてが今日のために起きたことだと気づきます。
もちろんこれは自我としての自分の感想でしかないのですが、無駄なことがないと言っても、意味のあることが起きたということではないのです。
ただただ物事が起きて、その結果今があるということです。足りないものもないし、余分なものもないということ。
楽しいことも、苦しいことも、嬉しいことも、辛いことも、とにかくそういったすべてが完全ということです。
誰かに会ったり、誰かと別れたり、希望が叶ったり、絶望したり…。そんな中いつも一緒だったのが、「私」という自我。
彼のいいところも悪いところも、カッコいいところもダサ過ぎるところも含めて、彼と別れなければならない時のことを思うと、愛しさも感じたり。
彼の中の執着が一頃よりもだいぶ小さくなってきていることに気づいて、このまま安らかに眠れるといいなと。
彼が逝った後は、闇が消えてすべてが光となることでしょうね。それを見ることができない彼はさぞ残念でしょうけれど…。