自我を見守る側で生きる

世の中には、「人とはどう生きるべきか」ということについての様々な教えが溢れているように思いますね。

歴史的に見れば、あらゆる宗教には教義があって、大抵はそうした教えがあります。戒律なんて言い方もあるくらいですから。

いわゆる守らねばならないルールのようなものですね。あるいは、そこまでシビアなものではないにしても、道徳や倫理といった概念も多数あるのです。

そうしたものを目にするたびに、正直なんでそんな当たり前のことをもっともらしく説教するのかなと感じてしまうのです。

また勝手にルールを決めて、それを守らなければ人間としてはダメなのだと断定されてしまったりもします。

そうした理想的な人間の振る舞いとは何か?を追求することで、人間が根本的に持っている苦しみから解放されるのならいいのです。

けれども、個人的には逆のような気がしています。自分への期待値を高めれば高めるほど自己嫌悪が強くなり、自己否定感に苛まれるのではないのかなと。

私のやり方は、もっといい自分になろうとする代わりに、できる限りそんな自分を見守り続けるというものです。

自我として生きている限り、苦しみはなくならないという深い理解があれば、それを見守る側に自然に向かうのではないかと感じています。