アンチ活動を見つめてみる

小学生の頃は、毎晩のようにプロ野球の試合をテレビで見ていたものです。父親が帰宅している時には、大抵一緒に見ていました。

そのころは、巨人軍と他チームの試合という組み合わせばかりを放送していたものですから、自然と巨人の選手だけを覚えてしまうのです。

そうなると、馴染みの選手がたくさんいる巨人軍を応援するようになるのです。東京在住の自分は当然のように巨人ファンになっていて、それを疑うこともありませんでした。

ところが、アンチ巨人という言葉を知って、びっくりしたことがあったのです。他のチームを応援するならともかく、なんだアンチ巨人て?

なぜ特定の野球チームを嫌いになることができるのか、ホントわかりませんでしたね。応援する気が起きないというだけなら分かるのですが。

この積極的に応援しない気持ち、そして嫌いだということをわざわざ表明することの不自然さは一体なんなのだろう?

人は嫌いなものからは自動的に離れていくものです。ところがアンチの人たちというのは、嫌いなターゲットから離れるどころかいつも注視して気にしてばかり。

最近ではアンチ活動なんて言葉もあるのですね。わざわざ時間とお金と労力を費やして、ターゲットをあの手この手で否定する活動を展開し続けるのです。

もしもあなたがアンチ◯◯に該当するようなら、それから得られるものが一体なんなのか見た方がいいでしょうね。

大切な人生の一コマをそんな程度の低い防衛に費やしていると理解できたら、その時点で馬鹿らしくなって自ずと卒業することになると思います。