梯子のことは忘れること

仏教の教えによると、悟りというものには段階らしきものがあるそうで、全部で52段なのだそうです。

そして最上級である52段目の悟りを得たものは、お釈迦様しかいないのだそうで、それを「釈迦の前に仏なし、釈迦の後に仏なし」と表現するそうです。

ブッダが最上級の悟りを得たということに異論はありませんが、それ以外の人はそこまで到達したことがないというのはどうなのでしょう?

さらにいうと、物事には段階があるという概念は、自我のものだと思うのです。自我はレベルという考え方が大好物なので。

完全に自我が落ちるという意味での悟り、覚醒にレベルがあるというのは私にとっては不自然な気がしますね。

osho も次のように言っています。「エンライトメント(覚醒)は梯子の最終段ではない。

覚醒は梯子から降りること、永久に降りて、2度と梯子を求めないこと。自然になることだ…」と。

一つはっきりしていることは、覚醒してしまったら覚醒などというものはないというところにいくのでしょうね。