人生の闘いは愚かしい

神のことを創造主などと呼ぶことがありますね。それは、神がこの世界、この宇宙を創造した張本人であるという考え方があるからです。

神が創りたもうた世界で、私たちは生かされているという発想は何となく分かりやすい感じがします。

けれども、私たち一人ひとりの人生を創り出しているのは、他でもない私たち自身であるという感覚もあるのです。

どちらが好みかはその人によるでしょうけれど、私は個人的には後者の方が癒しという観点においては有利なのではないかと感じています。

というのも、自分が創り出していると感じることで、自分以外の誰かのせいにすることができなくなっていくからです。

何か困った時に、なんであれそれを他人のせいにしてしまう人がいますが、それは単に依存が強いだけで、なんの解決もそこにはありません。

実際、人生という物語を裏側でこっそりコントロールしているのは、本人の思い込みなのです。もちろん、何から何まで100%と断定する必要はありません。

ただ、思考は現実を作るという感覚は誰もが何となく持っているものだと思うのです。私自身、何度もそれを痛感させられたことがあります。

だとすると、人生と闘っているということは、どれほど愚かしいことか容易に理解できますね。

初めに自己否定があり、それを払拭しようとして理想の自分を設定し、そこに向けて頑張り、達成できずに自己否定に戻り、そこからまた闘いを始めるという無限ループです。

ちょうど、犬が自分の尻尾を追ってクルクル回り続けている姿と酷似しているように感じます。

あなたがあなたであることを認めることができれば、自ずと人生の闘いは影を潜めてしまうことになるでしょうね。