マインドを見ている限りマインドはなくならない

私の仕事は、いわゆる心理療法士(心理セラピスト)と呼ばれる類のものです。古くは、フロイトの精神分析から始まり、時代とともに多くの枝分かれをして今に至っています。

私自身は、アカデミックな勉強をしてきていないので、正確なことは知らないのですが、ただ人のマインドを扱うということにおいて、すべてのセラピーが共通していると思っています。

この仕事を始めてしばらく経った時に、とても大きな壁にぶち当たったことがありました。

それは、どれほどセラピーを繰り返したところで、マインドはマインドのままだということに気づいてしまったからです。

とても深く病んでしまったマインドを、少しずつ正常なマインドに戻していくお手伝いができればいいという思いで始めたのでした。

ところが、あるときマインド(自我)は存在しないということに気づいてしまったために、セラピー(癒し)はどこまで行っても自我の癒しなのだと分かったのです。

その時点での自分の興味は、当然マインド(自我)から離れて、真の自己に目覚めることとなってしまったので、セラピーを続ける意味を見出せなくなってしまったのです。

もちろん今では、自我の癒しはそれなりに必要だという思いが芽生えたので、セラピストをこうして続けているわけです。

ただし、抑圧された過去の感情や思いを解放して、マインドの歪みを正して行ったところで、決して自我が自分だという思い違いは消えません。

私がかつて受けていた分析心理学というのは、夢を分析することでマインドの歪みを正していくものでしたが、それで夢がなくなることはないのです。

真実に気づくためには、その夢を見ているものを見続けること。それに気づいていることなのです。

万が一私の自我の代わりに、私の本質が顔を出して目覚めたとしたら、きっとセッションが全く違ったものとなるはずです。

どんな種類のセラピーとも異なるものとなるでしょうね。そういう日が来るのかどうかは、皆目分かりませんが…。