深みへの探求

今日は珍しくオフィスには行かずに、ずっと自宅の自室に篭っていました。外は強い風と吹き付ける雨の音がしています。

毎年春の嵐の日は埃っぽくなって、外を歩くと目の中にゴミがたくさん入って辛い思いをするのですが、今年は珍しく雨ですね。

風雨が強い夜は、その音ですぐに寝付けないで嫌な思いをした記憶があります。特に思い出すのは、大学受験の前日がそうでした。

明日は大事な試験だから、早く寝ようと思えば思うほど、雨戸のガタガタする音が気になってなかなか寝付けなかったのです。

そんなことも忘れて無事に大学に入って、自堕落な学生生活をしていたときのことです。友達と麻雀をやっていたときに、ふと試験前日の夜の話題になったのです。

友人の一人から、風の音が強くて一睡もできなくて試験に臨んだんだということを聞いて、ああ同じような経験をしたんだと知って妙な気分になりました。

あの試験の時には全くの赤の他人だったのが、こうして今一緒に麻雀をやっているということが不思議でもあり、嬉しくもありました。

その彼が白血病で亡くなったのは、それからしばらくしてからです。それでもあの頃の自分にとっては、死は他人事であり、自分にはやってこないと感じていたのです。

若い時だから仕方のないことですが、本当は死はいつも身近にあるのです。それを意識できるかどうかで、人生の質が変わってくるのです。

死を避けることができないという事実が、人間を深みへの探求へと誘うのです。そして、自我にとっては死は消滅を意味しますが、自分の本質にとってはそうではないと知ることになるのですね。