思考の中にいることに気づく

私たちはともすると、思考の中でもみくしゃになって生きているということを忘れてしまうのです。

朝起きてから夜眠りにつくまでのほとんどが思考まみれ。果ては眠っている間であっても、思考は夢という形となって現れる始末。

まさに思考思考思考。とどまることを知らずに、思考の中で溺れてしまっているかのようなものです。

ちょうど魚が海の存在を知らないように。魚は周りが海だらけなので、海が分からないのです。

だから気づくことです。これもあれも思考の働きによるものだと。思考が惨めさを作り、罪を作り、価値を作り、非喜劇を作るのです。

もしもあなたの人生に問題があるなら、それは思考による判断がそのように思わせているのです。

私たちは、救いも思考の中に見出そうとしてしまうのですが、思考の中に真の救いはありません。なぜならそれは思考だから。

真の救いは、その逆に思考のないところにあるのです。たとえばあなたが自分のことを罪深いと感じて苦しいのなら、あなたがどれほど頑張ったところで救いはありません。

救いは、罪深さというのは思考の中にだけあるものだと気づくこと。思考の世界から一瞬であろうと抜け出せたなら、そこには何もないと分かるのです。

これを知ったなら、私たちの誰もが初めから救われているのだと気づくことができますね。