真理の探究においては、矛盾を歓迎する

思考はいつも真理を理解することができる、努力すれば必ずや真実に到達することができるのだと信じています。

そうやって、飽くなき挑戦をし続けているのが人類ですね。様々な分野における研究、あるいは探求、挑戦は果てしなく続いていくのです。

それは決して悪いことではないし、悪いどころか価値ある人生を生きていくためにも、必要なことだというように思われているのも事実です。

科学にしても宗教にしても、昨日よりも明日はもっとすばらしいステージに立てるはず、そうした向上心が人類を進化させている、そうも思われているのです。

けれども、私たちは実はどこへも向かってはいないのです。思考のレベルで、どれほど改善、改革、自己実現などと叫んだところで、それは所詮思考の範疇なのです。

17年間も苦行を経験した仏陀が、悟ったときにその苦行は必要なかったと言ったように、私たちの思考が納得するような結果が必ずしもやってくるわけではありません。

「苦行はいらなかった」という彼の言葉は、相当に重く受け止めなければならないのです。思考で真理を捉えようとすると、そこには必ず深い矛盾の淵が待っているのです。

この世界は現実でもあるし、幻想でもある。本当は成すべきことは何もないが、努力が必要なときがないわけではない。

何も無いという「無」が厳然として「在る」、本当は分離など存在しないのに、分離からやってくる苦悩が私たちを苦しめている。

もしもあなたが、真理に近づこうとして矛盾にぶつかったなら、それはただ思考の限界を感じているだけだとして、軽やかにかわして行けばいいだけです。

矛盾をそのままに受け入れること、それが思考の限界を越える唯一の方法なのですから。