「鬱」は心のストライキ その3

昨日の続きです。

私たちの多くは、より幸せになろうとして頑張っています。ところが、実は自分にとっての幸せとは一体何なのかということについて、本当は深く考えずにいるのです。

世間一般が広く認めるところの、人の幸せとは大概こういうものだというのを鵜呑みにして、あるいはそれ以外を探すこともなく、その道を突っ走っているのです。

そのほとんどが、実は幼いときに作り上げた自己防衛システムに依存したやりかたであるということに気づいていません。

だから決して心が満たされることがないのです。手に入れられるものといったら、苦しみと一過性の安心感だけなのです。

なぜなら、幼いときに作った自己防衛システムの目的は、見捨てられないようにしてとにかく不安を安心に変えようとすることだったからです。

それは、大人の私たちが志向する幸福感とはまったく異なるものであるだけでなく、長期的にみれば多大な自己犠牲を積んでしまう生き方なのです。

自己犠牲が限界を越えたときに、防衛本能がその生き方を強制的に停止させようと発動するのです。それが心のストライキ、つまり鬱症状なのですね。

こうしたことに自ら気づき、日々の生活の中で如何に自分を守らねばという脅迫的な思いに占領されてきたか、再認識する必要があるのです。

それと同時に、それまで埋もれていた幼いころに通ずる無邪気さを捜し出して、それを救いあげてやることです。

そうやって、無邪気な自分と、社会的な自分(自己防衛)とのバランスがとれるようになれば、自然と鬱から開放されるようになるはずです。