癒しはタマネギの皮剥きに似てる

癒しというのは、タマネギの皮を剥いていくのに似ています。というのも、癒しは何か新しいことを学んで、身に付けていくのと反対だからです。

生後せっせと身にまとった皮を、一枚ずつ剥いて行くのです。もちろんその皮とは家族や社会から押し付けられたルールや考え方、あるいは常識のようなもの。

そういったものを表面から丁寧に剥ぎ取っていって、最後には幼い頃に作り込まれた自己イメージを脱ぎ捨てていくことになるのです。

タマネギを最後まで剥いても、その後に何も残らないというのも癒しと全く同じなのです。まとってしまったものをすべて脱ぎ捨てるとき、そこには何も残りません。

私自身、癒しの途中であることに気づいたことがありました。それは、昨日までの「私」(←ここには私のフルネームが入ります。)はもういないと…。

深いところで、自分の名前をつぶやいても何となくそぐわない感じがしたことがあったのです。それは不思議でしたが、気持ちのいいものでした。

自分の名前を何度か心の中でつぶやいてみて下さい。それがしっくりくるうちは、まだまだ癒していく必要があるということです。

ただし、気をつけなければいけないのは、自分の存在を否定しているような人の場合にも、自分の名前がそぐわないという感覚になる場合があるからです。

自分のアイデンティティが消えていくとき、誰もが全体性へとシフトしていくのです。それでも普通に社会の中で生きていくことができますよ。