個というのは作りごとだ。
<生>は分割されてはいない。
私たちは孤島の群ではない、私たちは一体–
この一体を感じとることだ。
ひとたびこの一体感を覚えたら
時間は消え失せ
空間は無意味になる–
突如として
あなたは時間と空間から押し出される!
と、あなたは在る
ただたんに在る
by osho
↑この言葉をあの有名なデカルトさんに聞かせてあげたかった。勿論生きてる時代が違うので、この時代に生きる私たちと比べるのは酷ですが…。
彼は、「我思うゆえに我あり」という言葉を残していますね。彼は探求するときに、不確かなものをできる限り排除していったのです。
そして最後に残るもの、つまりこう考えていることは動かし難い事実なので、考える我がいることも確かなことだと。
でもこの論理には隠された前提があったのです。つまり、自分という存在がなければ思うことはできないと。
私たちは、何につけ自分ありきで考えるのです。なにかを経験できるのは、この私がいるからだとするのです。これこそが自我のやり方なのです。
デカルトさんはそこに気づくことができなかった。思考はエネルギーとして存在するだけで、自我を前提としません。だからこそ、自我を落とした覚者でも考えることができるのです。
局所的な存在としての個という幻想が、空間的な広がりというものを作ったのです。自分が不在だったあの瞬間、時間はないと気づいていたし、空間には意味がありませんでした。
「ただ在る」これだけが真実なのですね。