何もせずにはいられない

あなたがたは何かに従事していたい。
だからエゴを落とすことはできないでいる。
空っぽで何も従事することのない状態でいられる用意があなたがたにできないかぎり
たとえ必要とされなくっても、それでもなお生を楽しみ祝福する用意ができているようにならないかぎりエゴが落ちることはありえない。

by osho

確かにエゴは何もしないではいられません。とにかく四六時中何かをしている必要があるのです。何もせずにいると、エゴの輪郭はぼやけてくるからです。

思考によってでっち上げたものだからこそ、他の誰かからその存在を認めてもらおうと頑張るのです。

承認欲求があるのはそのためなのです。厳然とした実在であるなら、ただ在ること以外に一体何が必要になるでしょう?何もいらないのです。

必要とされたい、役に立ちたい、愛されたい、こうした欲求はすべて「私」という存在がニセモノだということに気づいているからです。

私のエゴはいつも囁いてきます。何かすることが必要だと。朝起きて、面倒だなと思いながらも、朝の支度をすることがあってよかったと思うのです。

食事をする、シャワーを浴びる、部屋の掃除、仕事、映画を観る、誰かと会話する。こうしたあらゆることがエゴの助けとなっていることをヒシヒシと感じます。

実際、睡眠ですら大きな救いになっているのを知っています。なぜなら、何もすることがない状態のまま、覚醒し続けることが苦痛だからです。

そういう意味で、私のエゴはちょっと可哀想なのです。いろいろなことをさせてもらえずに、今日も生き続けなければならないから。

このブログを書くことだって、エゴの助けになっているのは皮肉なことですけどね。