痛みによって気づくこともある

まずは問うことだ。誰が苦しんでいるのか? それによって、身体や病気やマインドとの古い同一化が壊れる。それから、あなたは自分の内奥の核心をかいま見ることになる。さあ、尋ねてごらん。このマインドの本質とは何なのか?

by osho

身体が健康で、いい状態のときには気にも留めないのですが、どこかが具合悪くなったときには、それを痛がっているのは誰か?と尋ねるクセがついています。

ここのところ、手の指の関節の部分が痛くて、さりとて激痛ではないようなレベルのときには、この「尋ねる」を繰り返すチャンスなのです。

痛いなあ、困ったなあ、変な病気だったら嫌だなあ…などをぼんやり考えている無意識的状態になると、完全に痛む身体との同一化が続くことになるのです。

けれども意識的になればなるほど、関節の痛みとの間に近くて無限に遠い隙間があることに気づくことになるのです。

痛がっているのはマインドであり、マインドは自分の身体との同一化を通して自分自身が痛いのだという思い込みをするわけです。

このことを見抜くのが至難の技になってしまっているのは、マインドのなかにエゴが芽生えてしまったからなのでしょう。エゴこそが自分の正体だと感じているのです。

誰も具合が悪くはなりたくないのですが、そこにこそ大きなチャンスがあるということを思い出せば、具合が悪いのもそう悪いことばかりではないと気づいて、気分もよくなるはずですね。