社会生活を営む上で、私たちはある一定のルールに従う必要がありますが、それは言動など、他人から見える部分についてのことだけです。
内側ではどのような思考、考え方、心情を持とうが完全に自由であることを知っています。だからこそ、そのことが個々人を個性的にさせる可能性を秘めているわけです。
そういう意味からすると、私たちの内面は本当に自由だと思っても不思議ではないのですが、実はそうでもありません。
残念ながら、マインドに完全な自由など最初の最初からあった試しはないのです。それはマインドの生い立ちを見れば明らかなのです。
マインドというのは、自分以外の周囲、家族や友人、そして社会によって作り出されたものだからです。
個人ごとに、それぞれのマインドは異なるのですが、それはほんの表層だけなのです。マインド自体のメカニズムというのに例外などあるはずもないのです。
マインドとは、個人であることを司るための分離をベースにした思考群から成り立っている、真実から離れた病んだ非実体です。
だからどのマインドであれ、同じメカニズムで活動しているのです。でなければ、私のようなセラピストの仕事は成り立たなくなってしまいます。
したがって、私たちはマインドというメカニズムによって生かされた一種のロボットのようなものだとも言えてしまうのです。
もしも本当に個性的な存在になりたいのなら、そういう欲望が消えた先にあるノーマインドの状態、つまり覚醒するしかありません。
マインドが消えてしまった後こそ、完全なる自由の状態になるということですね。