自分の身体のルーツは何かと言えば、始まりはたった一つの受精卵だと言えますね。それは単細胞だったわけです。
それが細胞分裂を繰り返すことで、トータルで数十兆個の細胞を持った一人の肉体にまで進化したのです。
そこは、はっきりしていますね。では一方で、自分というマインドのルーツはどうなのでしょうか?
身体という物質の場合は分かりやすいのですが、マインドとなると途端に難しくなってしまいます。
とはいうものの、大人になった今から時間を遡って行けば、事の始まりはやはり両親の間に挟まった自分がいたのだと想定できます。
そこでさまざまなことを教えられ、日々学び、ときには洗脳されたのではないかと思えるくらいに強引に知識やルールを押し付けられたりもしたかもしれません。
けれども、もっと前はどうなのでしょうか?私たちはいつも自分ありきで物事を見る習慣がついているのです。
仮に洗脳されたとしても、洗脳される自分がそこにはいるということが前提なのは明らかですね。
そこに誰もいなければ、どうやって洗脳されたりルールを教え込まれたりできるというのでしょうか?
このことを突き詰めて考えていくと、どうやら自分というのは当初いなかったものが、気がついてみると自分がいるという具合に奇跡的な変化を遂げたのです。
でも良く考えてみてください。いるものはいるし、いないものはいないのです。物質では可能であっても、自分がいるということが変化するのはありえないことです。
つまり、生まれたときに自分がいなかったのが明らかであるなら、それはいつまでたってもいないままであるのが道理なのです。
もうお判りだと思いますが、結論として始めに自分はいませんでした。ということは、今この瞬間も自分という個人など本当はいないということになるのです。
いるという思いはあるけれど、実在するものではないということです。実在しないものが死んで消滅するということも不可能なことですね。