本当は自分とは何だろう?

↑誰もがあまり正面から向き合いたがらない質問をしてみました。自分とは何か?という疑問を持ったことがないなら、あなたはほぼ眠っているようなもの。

少しでも目覚めている時があるなら、必ずや自分という存在に対するこうした疑問を感じることがあったはずなのです。

そしていくら考えても、答えは見つからないどころか、目の前に繰り広げられる現実の方へと興味を持って行かれて、疑問のことは忘れてしまうのです。

けれども、時々はしつこくこのような自分に対する疑問を繰り返す人もいるのです。もしもこれまでこれが自分だと信じてきたものが、本当は違うなら?

私はそう考えると何かワクワクするような、ドキドキするような感覚になったことを覚えています。あらゆるものがチャラになる気楽さがそこにあったのです。

そしてある時、自分は大澤富士夫ではないとはっきり分かったときがありました。それまで脈々と続いてきた一つの人格が、その時点で切り離されたのです。

残った自分に別の人格があるということではなく、誰でもない、何でもなさだとしか言いようがありませんでした。

その気楽さ、その気安さは格別で、カルマなんてものは大ウソだと分かったのです。つまり、これまでの自分が生きていた人生が物語だったと気づいたのです。

もちろん、その後も人生は淡々と続いてはいるし、そこで具合が悪くなったり深刻になったりもするのですが、その背後には何でもなさが必ずあるのです。

皆さんも、冒頭の疑問を自分自身に問いかけてみて下さい。そこから何かこれまでと違った景色が見えるかもしれませんよ。