このブログの題名である「癒しから覚醒へ」には、どんな意味があるのか?それを今一度確認しておきたいと思います。
私自身が自分で経験した実体験から言えば、マインドを癒していくことはこの複雑な社会で生きている人々にとっては必要不可欠だと思うのです。
誰もが大なり小なり心を病んでしまった状態で生きているからです。私たちがこれが自分だと思い込んでいる自我というのは、社会によって作られたのです。
だからどんな社会かによって、人々が病む平均値のようなものが変化するのです。仏陀が生きていたころは、きっともっともっと社会は単純だったはず。
だから誰もがちょっとの努力によって、深い瞑想に入っていくことができたのです。ところが現代人はそうはいきません。
社会の中で防衛しながら生きていくためには、必死で思考を働かせていなくてはならないのです。だから瞑想が苦手になってしまったわけです。
つまりは各々が充分に瞑想の中に入っていけるレベルになるまで、癒しの作業を継続して進めていく必要があるのです。
けれどもそれだけでは、満たされることもないと知ったのです。癒しというのはマインドを癒すことであって、マインドから解放されるわけではないからです。
マインドを相手にする癒しをどれほど進めて行ったところで、マインドはマインドのまま君臨するのです。
どこかでマインドを観る側になって、マインドとの距離を作り出す訓練が必要になるということ。それが覚醒への道なのです。
私たちはマインド(自我)から離れて、自分の本質に気づくことでしか、つまり覚醒することでしか真理を知ることはできないのです。
あなたがあなた自身に気づいたとき、死ぬことからも生まれることからも解放されることになるのでしょうね。