ただあるがままのあなた

私たちはいつも理想を追い求めているものですね。理想という言葉を使わずとも、本来あるべき姿のようなものを何に対しても無意識に持っているのです。

たとえば、理想の夫婦とはこうあるべき、理想の親とはこうあるべき、理想の人間とはこうあるべき等々。

嘘をつかない、人に優しい、寛大な心、勇気ある行動、愛に溢れた人、何となく無造作に挙げてみたのですが、こんな人が理想の人物像の一つかもしれません。

その反対に、理想からかけ離れた場合だってあるのですが、もしかしてこちらの方が挙げ出したらキリがないかもしれません。

で、最近よく考えることなのですが、理想的とかあるべき姿とかというのはただ自分や社会にとって都合がいいということではないかと。

自然の中にはあるべき姿もそうでないものもないなと思うのです。人間だけがそうした分離を生み出す張本人なのです。

何かと生きづらい人というのは確かにいて、でもそれは単にこの社会に適合していないというだけで、あるべき姿ではないとは言えないのではないかと。

社会の多数派とか社会における正しさを物差しにしてあらゆるものを裁くのをやめたなら、あるべき姿なんてものは最初からなかったと気づくはずなのです。

今あなたがただあなたのままで在ること、それ以外にはどんな価値も正しさもないと気づくなら、すべての問題は消えていくことでしょうね。