自我は信じたり信じなかったりすることばかりで、信頼することができないのです。だから信じるものは救われるというのは、大きな間違いですね。
自我が救われることはないからです。自我が見えなくなっている時、そこには必ず救いがあります。その成分は信頼でできています。
きっと誰でも経験があると思うのですが、理由はないのだけれどなんだかきっと大丈夫だと感じるときがあるものです。
それは信頼が来ているのです。元々信頼にはどんな理由もありません。信じたり信じなかったりするのは思考ですが、信頼は無思考です。
思考のないところには理由もありません。信頼があると、深刻さは消えてしまいます。その二つは共存できないのですね。
信頼は防衛を小さくしてくれるし、その結果緊張も少なくなってリラックスがやってきてくれるのです。
だったら誰だって信頼が欲しいと願うかもしれませんが、信頼は欲望がない瞬間にしかやってきてはくれないのです。
実はあなたという実存は信頼そのものなのですが、自我とその思考に巻き込まれてそれが分からなくなっているだけなのです。
あなたの内奥のどこかに信頼があることを、少しの時間を使って見つける練習をしてみることです。それは必ずありますので。