「筋肉博士」と呼ばれる、筋トレが大好きな人たちから崇拝されている人がいるのですが、その人の言うことをみんなが信じ込んでいるらしいのです。
この筋トレの方法が効果があると言われたらそればかりをやり、このサプリがいいと言われるとこぞってそれを服用する。
エイプリルフールのときに、その人がでたらめな情報を流したら、誰もがそれを疑うことなく信じてしまったということもあったそうです。
こういうのを盲信というのですね。この社会では疑うよりも信じることの方がいいことだという共通の認識がありますが、これは大問題なのです。
何かを信じた途端、もうどんな気づきもやってこなくなってしまうからです。私たちは疑問を持つことで、さまざまな気づきや深い理解を手に入れることができるのです。
信じることは信じないことと同義であって、そこからは何も得ることができません。ある情報を信じたらそれは決して自分のものにはならないのです。
その情報に興味があれば、とりあえずは宙ぶらりんの状態にしておいて、それが自分にとってどうなのかを自ら確かめること。
私は OSHO のことを心から敬愛しているのですが、決して信じているわけではありません。だから彼からやってきた情報を検証するようにしているのです。
信じてしまうと、そこには必ず何らかの執着がついて回るのです。逆に信じたり信じなかったりしないでいると、信頼が生まれるのです。
信頼には執着心が全くないので気持ちいいのですね。