欠乏感という生命維持装置

自粛要請が解除されつつある中、スポーツジムが再開されたおかげで午前中のルーティーンが復活したのはよかったのですが、一番のお目当てのサウナは利用できないまま。

なぜあの高温多湿(100°C)のサウナを解禁できないのか。ジム側の考えがあるのでしょうが、どうも疑問が残るし正直不満なのです。

自分の自我をよく見つめていると、こうした不満というのを定常的に持っていて何かの時に投げてくるのです。

総合的に考えたら、物理的にも精神的にも恵まれた毎日だということも分かっていながら、不満も一定数確保しておくぞといった感じなのです。

自我の立場からすると、不満がなくなってしまうと生きていくために必要な原動力がなくなってしまうのでしょうね。

自我にとっては不満は非常に大切なもの、満たされないという思い、自分は欠落しているという、何かが足りないという思いが生命維持に不可欠なのですね。

そのことを深く理解してあげることができれば、不満だといって息巻いている自我も可愛く見えてくるから不思議です。