安心しようとして人を巻き込まない

誰にも平等に与えられているもの、その一つは「生まれて生きて死ぬ」ということです。これに異論がある人はいませんね。

このように誰にとっても死は確実にやって来るわけですが、生は生きることで占められているように錯覚していませんか?

生の中には当然死ぬことが含まれているのです。成長していくことと同じように死に行くことが起きるのです。

身体は成長することに対して必要な栄養を補給しようとするし、死にゆく時にはその準備として栄養をカットしようとするのです。

4年前に父親が老衰で亡くなったのですが、亡くなる1ヶ月前くらいから食事を摂らなくなったのです。

いたって元気ではあったのですが、このままじゃ歩けなくなると思って検査入院をさせたのですが、病院の食事もほとんど食べないままに入院後一週間で息を引き取りました。

家族としては心配なので点滴を打ってもらいたいと思うのですが、死ぬ準備に取り掛かっている身体はそれを望んでいません。

そんなことも分からないでいるのは、普段から死についてきちんと向き合って来なかったことが原因ではないかと思うのです。

私たちはもっと注意深くならなければならないと思うのですが、それは自分が安心しようとすることに他人を巻き込んでしまう可能性があるということです。

たとえば親は子供のことを心配するあまりに、あれやこれやと命令したり自分の正しさを押し付けようとしたりしてしまいます。

それは親自体が安心したいばっかりに、自分の不安から逃れたいがために、それを子供に投影して必要以上に手出しをしてしまうのです。

それが子供にとっては最悪の結果を生むということが分からないのですね。良かれと思ってやっているからです。

もっと注意深くなれば、良かれと思ってやっていることの裏側には自分がただ安心したいだけだということが隠されていることに気づくはずなのです。

不安から逃げたい気持ちは当然だとしても、それを自分以外の誰かを使って行おうとすることは、一刻も早く止めるべきですね。そのままでは誰も幸せにはならないからです。